再び六甲山頂にて
屈辱のぉ
六甲山展望台コンペのぉ
公開二次審査にぃ
行ってきましたよぉ~
(「水曜どうでしょう」大泉洋氏の言い回しでお願いいたします)
と、まったくふざけた前置きではありますが、
とにかく二人後ろから飛び蹴りを喰らい、
そしてオモリを付けられて海底に沈められたかの思いであります。
なぜにそう思ったのか・・・。
解説いたします。
六甲山頂にあった廻る展望台が解体されたのが平成12年。
すっかり更地にされて小高い丸山の見晴の丘であったところに、
日本建築家協会近畿支部と阪神総合レジャー(株)が主催する「第1回JIA KINKI U-40設計コンペティション(設計競技)六甲山上の展望台」が繰り広げられたのであります。
「U-40」
そう、40歳以下の若き建築家対象であります。
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世間ではそう若くないのでしょうが建築界では若いのです!
まずはみんな同世代なのです。
それに勢いよく参加したラボ二人なのですが、あえてキズを開けるがごとく言いますと、一次審査で敢え無く落選。
「なんでやねん!なんであかんねん!」
と、息巻く二人を
「そらあかんわ。落ちるわ。オレ。」
と、いともアッサリと改心させた公開審査であり、展覧会でありました。皆々が力作ぞろいの渾身の一撃。あえて言わしていただきますと我々も頑張った。
がしかし、負け犬の遠吠えとおっしゃるなかれ、非常にムヅカシイお題目でありました。
国立公園内で目立たず騒がず集客と利益を生む六甲山らしい展望台。そして、只のレジャー施設ではない建築家が生み出す展望台。
最優秀者は
「犬島アートプロジェクト(精錬所)」で有名な
三分一博志氏。
賞が決定した今。それでも尚、あの場所に何が一番適切なコンテンツで、最高の造形美をもった建築かは思い描けないでいるのが一番悔しいし悲しいのであります。
(さ)